投稿者
 メール
  題名
  内容 入力補助動画検索<OBJECT>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ teacup.コミュニティ ]

投稿募集! スレッド一覧

スレッド作成 他のスレッドを探す

[PR] 求人情報サイト ハワイ格安旅行 茨城の求人・転職 seo対策 英会話岡山駅
teacup. ] [ 無料掲示板 ] [ プレミアム掲示板 ] [ teacup.コミュニティ ] [ ブログ ] [ チャット ]

全100件の内、新着の記事から20件ずつ表示します。 1  2  3  4  5  |  《前のページ |  次のページ》 

ええと、ええと

 投稿者:AHH  投稿日:2009年10月31日(土)22時15分1秒
  特に何かあったわけでもないです。単に放置していました。
春日さんには非常に悪いことをしたとしか言いようがありません。ごめんなさい。基本的に返す言葉がなかったのだと思ってくれて結構です。

で、また酔った勢いで書き込んだりしてみたりする次第です。ああ、悪いことして迷惑かけた方は沢山いらっしゃるんでした…いやもう、その手のこと全部端からお断りすべきですね。自分にはできないことでした、本当、すみませんでした。

まぁ、なんにせよ、適当を測り、意味とは何か、なんで、はてな、湧き上がり続ける疑問に、さほどまじめに取り組むことなく、かつ疑問を見過ごすことなく生きることだけは続けたいものとは考えていますので、まぁ――正直どうでもいいですよね。

なんか久しぶりに書いてみたくなっただけですよ。
 

(無題)

 投稿者:春日 姫宮  投稿日:2009年 7月12日(日)00時31分13秒
編集済
  >今の私が「得をすべき」と考える対象は低産労働者になるのでしょう

それで今の民主党支持層を筋が悪いと斬って捨てるのは「低産所得者を助けてあげたいけど低産所得者は馬鹿だから嫌いだ」と言っているようにも聞こえますね。
共産主義者より、実はまともな意見だと思いますけどw
 

はい、いーたい放題です

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 6月28日(日)22時17分36秒
  はい。まったくもって直接の返事してません。
議論を戦わせているわけでもなく、言いたい放題の応酬ですが、ご容赦ください。
直接の反応は追々やってくつもりです。調べが追いつくまでお待ちくださいw。


いちいちもっともなご意見と思います。
現状についての把握はそちらのほうが詳細ですし、提案された対処法と予想される結果の組み合わせに、大きく間違いがあるとも思いません。

以前の党派の話じゃないですが、まずは自分が誰の利益のためにモノを考えるか、って所ですよ。仮に日本ったって、老若男女、資本家と労働者、いろいろ立場と階層がある。その中のどこが「得をする」ことをよしとするのか。
それぞれ立場は重複し合っていて綺麗に切り分けなどできませんが、それでもざっぱな対象を定めるとして、今の私が「得をすべき」と考える対象は低産労働者になるのでしょう。

資本家の利益を重視すれば、労働者まで還元される、という小泉流のロジックは、「社会がそのように押し付けなければ」実現されないってことが明らかになりつつあります。ルールなき経済活動の先には奴隷制とマルチしか残らないから、世の中いろいろルールがあるわけで、そろそろルールを見直す時期なのでは、といっています。
さらに言えば、社会主義的な思想を思い出す時期なんじゃないの、と。

今このご時勢では珍しくもない主張です。もともと、経済の世界は自由主義と社会主義の間を行ったりきたりしてバランスをとるもので、今回は社会主義よりに傾くターンなんじゃないのという程度のものです。

今の日本の問題ってのは、「意味の喪失」にあると考えています。
たとえば、労働の意味。生きるために働く、ではない、生きるために食う、食うために稼ぐ、稼ぐために働く、です。食えればよいのであり、働かなくて食えるのなら働かなくてよい。ニートが生まれた背景は、労働に食う以上の意味がなくなったからです。
かつては、労働には他の意味と価値があった。ひとつの社会としての会社での立場と関係、望ましい将来設計を実現する手段、努力対象としての労働。

そもそもの、生きる意味。欲求の追及、ここに尽きると私は考えていますが、これもまた経済と同じくノールールではなく、社会が「価値」と言う名前で方向性を与えなければならないモノです。
それは宗教であったり、道徳であったり、価値観そのものであったり、さまざまに「望ましい欲求」と「制限すべき欲求」の区別をつけていく、それこそ国の仕事の主たるものなのだ、と私は思っています。

そういったものを復活させることはできないのか? できるんじゃ? と、私は思っています。
 

いーたい放題

 投稿者:春日 姫宮  投稿日:2009年 6月27日(土)18時16分37秒
  議論の重要度を考え、(4)から逆に答えていきます。

(4)
外需依存体質からの脱却を図る必要はなく、これからはもっと外需依存体質を強めるべきだ、と私は考えています。多分AHHさんは反対の考えの持ち主で、ここを論点として想定していました。
内需+外需の合計が最大になるよう努力することは当然ですが、別の考え方として、外需の比率が高くなるとリスクが高くなるからそれは避けるべきだ、という見方もあり、これも至極もっともです。
それで、AHHさんは後者を重視しているように見えたのですね。ですから、私は内需の伸び代は小さく外需に伸び代が大きいこと、外需をアメリカ・工業製品のみにたよらず多数の国・多種の製品に分散することでリスクを抑えられること、外需がどれだけのメリットを日本にもたらしているかを説明し、前者の重要性を示したつもりでした。
AHHさんに内需をバッサリ捨てろと言ってるように聞こえたのは、おそらく、私が内需の伸び代の小ささを説明する過程で「もう今後内需は減るしかない」と主張したからだと思います。
世界同時不況・中産階級の減少で傷ついた内需を回復することは大切です。しかしその回復が、「BRICsなどのグローバル経済参入による長期的デフレ」「日本を含む先進国における、設備投資を必要としない産業への転換」「消費者の飽食感・将来への不安感」「単純に人口減や労働者の収入減などによる国力の低下」といった原因での内需低下の速度を上回ることはあり得ません(もちろん、100円の缶ジュースが130円になるといった意味でのインフレにより見かけの数字は増えるかもしれませんが)。
手当てをすべきではないと言っているのではなくて、手当てをしても内需の壊死は止められない(速度を遅らせることはできるかもしれないが)、だから今後はどうしても外需依存体質を強めるを得ないと主張しています。

(2)(3)
わたしは別に「労働者は奴隷になれ」と言っているのではなくて、「このままだと奴隷になるしかないという現実を直視せよ」と言っています。ここで言う奴隷とは、AHHさんも主張されているように「身分」を意味するのではなく、例えば技能(教養を含む)、労働、給与の水準をそれぞれ1〜10のレベルで表した場合、レベル1とか2の労働とレベル1とか2の給与に一生甘んじるような状態を指します。
例えば、高度経済成長期は金の卵が技能、労働、給与いずれも低いレベルから初めて、最終的にはどれも世界的に見て結構高いレベルに到達しましたが、もうこんなことは(少なくとも日本中で当然のようには)起こりえません。現在の日本のシステムのままだと、労働レベル3の職業に就いたら死ぬまで労働レベルも給与レベルも3〜4である場合が殆どだと思います。そして日本は技能レベルが4〜8くらいの人間がやたら多く、仕事が足りない状態です。反面、社会にどうしても必要な労働レベル1〜3をやりたがる者がいない、9〜10のようなハイレベルの職務を担える人間も足りない、と言えましょう。
後者の問題に対する対策として、日本の教育水準を上げていくこと、ここはAHHさんも異論がないと思います。前者の問題の対策として、1〜3の水準の外国人を雇うこと、これも現実に日本はそうなっており、異論はないでしょう。ただ、4とか5くらいの外国人も同じ技能レベルの日本人と比較して安く雇えるという現実があり、私はそれを雇うことまでも肯定します。日本の企業から見て割安でも海外の給与水準から見れば好待遇であるという内外格差があるのなら、経営者から見てこれを利用しない手はありません(そしてそれは植民地時代の奴隷貿易とは全く異なります)。技能レベル4〜5の日本人労働者にとっては不利になりますが、彼らは勉強して技能レベルを上げれば良いというスタンスです。また、AHHさんが仰る期間工のような奴隷的な労働が現実に存在するのなら(多分期間工はかなりマシな方です)、海外の目を国内に取り入れることで改善も図れましょう。バターン死の行進のようなことがあれば世界中から非難を浴びますから。もちろん、海外の労働者を研修生と銘打って奴隷的労働に従事させるようなことは肯定しません。
それから、雇用市場を海外並に発展させるべきだと考えています。ワークライフバランスなどという言葉が叫ばれて久しい昨今ですが、その方向性に向かうのであれば、労働者が企業への依存を強める現体制が望ましいとはどうしても思えません。
この考え方は、日本のピラミット型の硬直した産業形態ないしそれに対応した雇用体系に真っ向から対立します。労働力の流動化を促し、これまでの日本型雇用が持っていたメリットである緊密な人間関係や会社への帰属意識を失わせるものだからです。しかし、
AHHさんが「日本的な共産主義」を肯定するのであれば、その核心の一つである従来の日本型の雇用制度も肯定せざるを得ないはずです。私はそこを「開放」せよと主張しているのですね。
ただ、予め断っておきたいのですが、例えば自動車の設計など従来の日本型の雇用制度が強みになる産業は確かにあります(こうした産業はすり合わせ技術が肝要となりますが、そうしたすり合わせは緊密な人間関係の下でより上手く機能するようです)こうした産業は従来型の日本の雇用制度のままで構わないと思っているのですが、その成功モデルをバカの一つ覚えのように全産業に適用するのはやめましょうと言うことですね。

(1)
携帯電話が国内市場で迷走したと仰いますが、そんな事実はありません。例えば通話・メール・iモードなどに機能を限定した韓国の携帯が日本の携帯の約半額で売っていますが、シェアを全然伸ばせていません(AHHさんの主張が正しいのなら一定のシェアを得たはずです)。100歩譲ってそんな事実があったとしても、「日本のブランドが下落している」と結論付けられるほど強力な論拠とは言えないと思います。
もちろん私は「日本のブランドが上がっている」とは主張していませんし、そう思ってもいません。内需に目を向けるべき理由として、ブランドの低下を防げるからだという主張はできないだろう、という考えで反論しました。
しかし、元々の議論の本筋ではないし、水掛け論になりそうですので、こちらから質問しておいてなんですが、この点については以降触れないということで良いでしょうか?
いやお前が吹っかけてきたんだろ続けろということでしたらなんぼでも反論を書かせていただきますがw

>理念の下に集まった集団でないことが明白、意思決定のための基礎がないから、まず私利私欲にしか走れない
その結果2年間国政を停滞させたのが自民党ですね。
自分の意思を国政に反映できないと判断したら辞任するか解散するかするのが筋で、「解散は責任ある政策形成が出来ない時に」というのは高校の政治経済でさえ習った覚えがあります。
安倍が参院選で負けた時に解散or辞任しなかったのは彼の政治家としての良心を疑うものでした。
福田は連立構想が崩れた時に解散or辞任すべきでしたし(あの時小沢は一旦は民主党党首を辞任している)、麻生は冒頭解散すべきでした。
レームダックをここまで長期間にわたって許してしまったのは自民党の致命的な汚点で、その理由はAHHさんも指摘している通り、派閥政治がなくなって、なんとなく総理に居座れちゃうようなぬるま湯になっちゃったからでしょうね。
そこで派閥に代わる二大政党制を……と言いたいところですが、多分民主党に政権取らせたら自民党は吹き飛びますね(苦笑)。理念じゃなくて利益で結びついている党なので、それを熟知する森が仇敵社会党と結託してまで政権を維持したのは個人的には許せないんですが、仕方のないことだったと思います。
公明党と組んでやっと政党として一人前(自民党単独ではもはや党機能をまかないきれない)というのも困りものです。
絶望するしかない状況ですが、ここで自民党に踏ん張って欲しいところです。
次回選挙で自民党は致命傷を負うでしょうが、なんとか清和会を中心に(旧宏池会は幹部が無能なので無理)明確なタカ派の政党として生まれ変わって欲しいものです。民主党が政権を取るにしても、経験豊かで手強い批判者としてのタカ派政党がいてくれるのといてくれないのとでは国政に雲泥の差がでます。自民党がこれまでのような玉虫色ではなくタカ派色を強めれば一定の支持は得られるでしょう。
鳩山兄はあまり評価していなかったんですが、これまでのところ結構健闘しているので、政権を取っても政策実行力はある程度維持するでしょう(対立した岡田派を取り入れて民主党を一丸にしたのは彼の政治手腕が並でないことを示しています)。
実行する民主党、それを批判する新生自民党、という構図になってくれるなら、国政の今後も少しは光明が見えてきそうです。
 

(無題)

 投稿者:春日 姫宮  投稿日:2009年 6月24日(水)21時32分52秒
  遅くなりましてすみません。読みました。
具体的な返事はちょっと待ってください。
 

...

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 6月23日(火)21時22分48秒
  タキオンが逝ってしまった…
何もかもが早い馬でした…
あのころの熱はもう戻らないんだろうなぁ、いろいろと。
 

んん…

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 6月20日(土)19時50分29秒
  まぁ、不思議なもので。
結局のところ私が望む方向性を明言してるのは民主のほうなんですね。

〈1〉新自由主義との決別と内需主導型経済への転換
〈2〉社会保障、雇用を重視したセーフティーネット(安全網)の再構築と拡充
〈3〉所得再分配機能の見直しと財源確保
〈4〉憲法理念の尊重と具現化

こういったあたりを打ち出したそうですが、まぁそうでしょうね。社民がいるのですからそうなるべき、ならなかったら不思議なくらいではありますが。

ただし、投票するかどうかとはまた別な話。
表明された理念には賛同しても、それを実行するかどうかという点で大いに疑わしい。というか、やらないでしょう。
理念の下に集まった集団でないことが明白、かつ、方向性が明確な大口の後援者も持っていない。
意思決定のための基礎がないから、まず私利私欲にしか走れない。かてて加えて小口の後援者たちの筋が悪く、これまた私利私欲への流れしか見えない。

ほんと何も選びたくないなぁ…
 

おっと

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 6月14日(日)20時14分36秒
  最後の行は
こちらの勘違いでなければ、でした。間違えました。
 

(無題)

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 6月14日(日)11時10分27秒
  んー、自分の発言を守る方向で言いますよ。

(1)
海外において日本ブランドが下落する兆候と言う言葉の根拠は?という問いに対して、国内において品質神話の崩壊がすでにある、と言いました。末端の対応ではなく経営方針や体質的な問題だった事件もあり、兆候というにこれ以上があるとも思えません。
長期にわたって低下が起きていたから実態として日本製品の質の低下はない、というのもおかしな話で、ついに露見するところまで下落したと言うほかはないと思います。
携帯市場において発展の方向を間違えた、と言うのは春日さん自身の示された例ですが、これも国内において無用に高機能すぎると囁かれて久しい事柄のはずです。市場を見ずに迷走した結果の一つとしてあげることも出来るはずです。


(2)
賃金がこれから下がってゆくだろう、と言う予測はあっても、下げなければならないとは思っていません。
他を圧する所得を得よ、とも初めから言っていません。
人的流動性を否定する勝ち負けの組分けと、自己責任の名分において成された調整放棄の結果を認める気もありません。
労働者に対して隷属への厳しい現実を突きつけるなら、資本家に対しても社会主義的公平分配と言う厳しい現実を突きつける選択がありえることも忘れてはいけません。
奴隷的「身分」がないからといって、「実質的」奴隷がいないということにはなりません。奴隷がいないことを肯定的に捉えるなら、それを維持する方向で考えないことは単なる退歩と思えます。

ただ単に金を稼げ、という立場で物をいうならいろいろあるかもしれません。
安い労働力を仕入れて高く売る、それでは単に植民地時代のやり方に戻るだけであり、その結果として立ち上がってくる諸問題について既に知っている我々がそれを選択するのは、端的な無責任だと思います。


(4)
内需拡大が全てではないし、そもそも拡大ではなくて過度の縮小に対して手を打ちましょう、と言っているわけです。これ、初めて言ったことじゃないですよね。
外に出るなと言ってるわけでもない。
外需を捨てて内需拡大に血道をあげろ、と私が言っているような方向で走られても困りますし、むしろ春日さんが内需をバッサリ捨てろと言ってるように聞こえていて、何でそこまで国内を切り捨てるのか、と私が反論している形のはずです。

そのあたりこちらの勘違い、論点の修正を願いたいところです。
 

(無題)

 投稿者:春日 姫宮  投稿日:2009年 6月 9日(火)23時44分23秒
  (1)
AHHさんも自ら反論を予想されている通り、国内向けの商品のブランドが下落したことが国外向けの商品のブランドに影響するとは思えません。
また、個人的にはこの問題は消費者を舐めたからというよりも、単なる幻想・神話の崩壊(いずれの偽装もかなり長期間行われたものでした)だと思います。実体としての日本製品の質が低下しているわけではない、というのが真相ではないでしょうか。
というわけで、このロジックはとても受け入れられませんが、もし他の根拠や理屈で日本ブランドの下落を推測できるのであれば、拝聴したいと思います。

(2)(3)
日本の貨幣の信用は落ちておらず(むしろドルやユーロの信頼が落ちたせいで相対的には円の信用は高まっている=円高)、これまでの話では、少なくとも海外向けの商品の信用が落ちている事実も見あたりません(これに加えて、個人的には国内向け商品についても過剰に信用されていたきらいがあり、単なるバブルの崩壊だと思っています)。

労働市場については、これ以上日本が賃上げする余地はありませんし、これから大幅に下げなければならない、というのが個人的な考えです。
なぜなら、同じ仕事をベトナム人(今は中国人より安いらしいですね)ならば10分の1の給与で行えるのに、敢えて日本人を雇う理由はないからです。
もちろんAHHさんの仰る通り、国の施策である程度日本人を優遇することはできます。しかしそれにも限度があります。
これまで概ね西欧と北米と日本が独占してきた資本主義市場に、その数倍の人口を持つBRICsや東南アジアが流入してきたのです、需給の関係から言っても労働者の給与は数分の1にならざるを得ないでしょう。
そもそも、これまで社会は必ず奴隷的な身分を必要としてきました。してみると、これまで日本に奴隷的な身分が存在しなかったことが異常であり、それは日本のピラミット構造をなす産業構造の下層から、ということになるでしょう。厳しい現実ですが、日本の労働者はこれまでが恵まれすぎており、現実に帰らねばならない、ということだと思います。
対策としては、できる限り儲かる仕事を日本が占める(これまでの日本は重厚長大産業でそれを実現していましたが、今後は知識集約型産業であろうと思います)ことでしょう。もちろん、できる限り国民が中流層から落ちないようにするセーフティネットの構築を否定するものではありません。
もしそうではなく、この市場主義の現実を真っ向から否定して、日本人だけが他国の水準を数倍する所得を享受する奇跡のようなアイディアがありましたら、こちらも拝聴したいと思います。

>時差利用で、安い労働力を入れるのはよいとしても、時差はいずれ埋ります
これは商売としては当然の話で、時差利用を利用するのは当たり前だし永続するビジネスモデルはありません。永遠に対処できるものではないからと目の前の問題を放置する法はないでしょう。

(4)
例えばトヨタの工場が閉鎖して、その工場の工員にモノを売っていた店員は失業するわけですけど、彼らも体感できる生活が得られますか?
日本は世界的に見れば極めて外需依存度が低いと言われていますけれども、それでもGDPの2割を直接的に外需で(例えばトヨタの工場の工員)、もう2割を間接的に外需で(例えばトヨタ工場近くのコンビニの店員)まかなっていると言われています。国の4割の人間を失業させた上で成り立つ「実感できる生活」とは、どのようなものでしょうか?
むろん、いきなり4割を辞めさせるわけにはいかないのでソフトランディングを図るのでしょうけれど、AHHさんの仰ることは壮大すぎて私にはその4割が今後どのような仕事に転換するのか見えてきません。内需拡大でそれだけの数を賄えるとも思えません。

>日本国民には「外需利益」はたいして関係ない話
確かに、外需で得た利益が資本家に独占され、労働者にまで回らなかった問題はありますね。ですからその配分を見直すことで、労働者も外需の実感が得られるようになると思います。

>国内は奴隷労働者の飼育場所
例えばトヨタの期間工の労働モデルを取り上げますと、労働時間は1日7時間35分、給与は1年目で月20時間残業したとして、月収25万5千円〜28万円程度+諸手当です。
むろん楽な仕事だとはいいませんが、奴隷とまで言えるほど悲惨な職場ではないような。

もしかしたら言い方が慇懃無礼に感じるかもしれませんが、私はAHHさんを論争で打ち負かしたいと思っているのではなく、自分の理性の限界を試したいのです。もしお付き合い下さるのでしたら、AHHさんの考えをお聞かせ下さい。
 

(無題)

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 6月 7日(日)10時15分53秒
  遅れました。

>(1)国内での競争を経ずに製品を輸出した結果、日本ブランドが下落する兆候があるとAHHさんは仰いますが、その具体的な事例は(これ、本当に具体的な事例が思いつかないのです)?


>>国土の狭さから競争で磨かれる、というプロセスを経ず楽に外に出すようになれば日本ブランドはあっというまに下落するでしょう。既に兆候は出ています。

このあたりの発言でしょうか。明確にこれ、と言う話ではないとおもわれるかもしれませんけど、私の考えのプロセスとしてはこうです。
2008年は「偽」の年と言われました。耐震偽装、食品の産地偽装、賞味期限偽装、あれこれと商品の品質に対する偽装が目立ったためです。主に国内の話ですね。
これらの事件の背景が、「消費者を意識しない」仕事の増加にあるのだと私は思います。とにかく作れ、品質は2の次、儲けのために走れ。
その結果が信用の破壊に繋がりました。既に起きたことです。

・それは国内の話で、海外向けの商品はむしろ消費者を意識している、大丈夫だ。
・肝心の国内がこのザマでは、「国内の競争で磨く」なんて始めから意味がない。

このあたりの考えもあるでしょうね。


>(2)そうした兆候を防ぐために、なぜ内需拡大が必要なのですか?

拡大、というより、内需が停滞している原因を取り除くべき、と言っています。
先に述べた様々な信用の下落。
不換紙幣を用いているからには、経済活動の根本は信用です。貨幣の信用、商品の信用、それぞれが揃って初めて取引があるのに、どちらもままならないときては話にならない。
せめてまずは商品の信用を取り戻す必要があります。
そしてそれには、労働力商品の信用も含みます。労働力の再生と再使用を可能とする最小対価、その設定値を考え直す必要があると考えます。

・そこで海外の労働力を

時差利用で、安い労働力を入れるのはよいとしても、時差はいずれ埋ります。再度時差のある労働力を導入しても、その時差が埋るのは前よりも早まります。
対処療法の限界は素早く訪れるでしょうから、それまでに根本的原因をどうにかしなければなりません。


>(3)内需を重視するとして、その結果、G8中でも所得が最も大きい(2006年頃)日本において、更に所得倍増計画を打ち出す必然性はどこにありますか?

所得倍増という掛け声には、「低所得階級の」という小さな声が前につきます。当然高度成長期と同じことができるわけもないですが、この掛け声の意図はつまるところ格差社会の脱却、新自由主義への決別と社会民主主義への回帰です。

>(4)それらの政策の結果、これまで外需で得ていた膨大な利益の代わりに何が得られるのですか?

体感できる生活じゃないですかね。
外需の利益を体感できる部分は、店頭に並ぶ商品が煌びやかになるってことですが、国内事情が今のように買わない買えないの時代だと、実際に煌びやかになった商品が並ぶのは海外の店頭です。

そうなると日本国民には「外需利益」はたいして関係ない話になるわけです。
トヨタの労働者が、国内と海外では海外のほうが待遇がいい、などという話があります。国内は奴隷労働者の飼育場所で、商品の売り場は海外。

まぁ国内の労働者として、嬉しい状況とは言いにくいんですね。
 

(無題)

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 6月 1日(月)23時09分0秒
  残業続きだったりバスケで脚ねじったりとあれです。チョイお待ちください。  

段々理解が追いつかなくなってきたのでw

 投稿者:春日 姫宮  投稿日:2009年 5月30日(土)10時13分33秒
編集済
  まだよく私が理解出来ていないところについて質問させてください。
(1)国内での競争を経ずに製品を輸出した結果、日本ブランドが下落する兆候があるとAHHさんは仰いますが、その具体的な事例は(これ、本当に具体的な事例が思いつかないのです)?
(2)そうした兆候を防ぐために、なぜ内需拡大が必要なのですか?
(3)内需を重視するとして、その結果、G8中でも所得が最も大きい(2006年頃)日本において、更に所得倍増計画を打ち出す必然性はどこにありますか?
(4)それらの政策の結果、これまで外需で得ていた膨大な利益の代わりに何が得られるのですか?

>そのうち日本発の不況ビジネスが世界に出て行っても驚かないと思います。
この結論に至る一連の考え方は「これまで通りの外需依存体制のまま、新たな市場を開拓しよう」という私の考えに適合するのであって、「内政を重視、グローバル経済の後退、所得の倍増」を志向するAHHさんの考えには適合しないのではないですか?
 

(無題)

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 5月27日(水)22時52分46秒
編集済
  100の事例のなかで50の成功例があるとき、これを成功と言うか失敗と言うか。評価する人次第ですね。
極端に言って、100のうち1件しか成功例がないとしても、この一つの成功をもって「前例があるのだから成功が可能なことは証明されている」といって間違いではないです。
どう捉え、どう判断するか、それは個々人の相違というものですよね。

太った人間が、腹を満たすだけの食事にありつけなくなったとき、痩せると言う選択肢を選ばないことは、予想されることではあります。
が、痩せれば?という意見が出ることも予想されることです。
現在の世論には、この「痩せれば?」と言う空気が多分に含まれてもいるはずです。

極端は結局のところ害ですから折衷案を取りましょう、ってことになるにしても、過剰なエネルギーを要する体を作り直すと言うこと自体は正論のはず、だと思っています。


○内需に関して?
日本国内ではすでに絶対的貧困層が形成されました。年収100万台の人々が普通にいる状況になりつつあります。そして、それに合わせて消費のスタイルも大きく変わってきています。車を買わなくなり、家電を買わなくなり。では、皆はなにを買うのか? 不況にあったビジネスとは何か?
様々な不況対策ビジネス書が大量に出回り、そうした明らかに不確かな情報に多くの企業が踊り、成功と失敗のケースを積み上げてゆく。
みるみる不況対策が研究されていっている現状こそ、私が考える日本の特性です。プライドがなく、宗教的な縛りもなく、歴史的な縛りもなく、なにより表面的な悲観主義と内面的な楽観主義を併せ持つ日本人の変わり身の早さは、実際逆境において有利な要素のはずなのです。
復活には定評がある日本。
そんな楽観が私の頭の中にありますので、そのうち日本発の不況ビジネスが世界に出て行っても驚かないと思います。

○外貨について?
世界上位の経済大国であるということは、問題の先端にいて、その問題の本質を含んだ環境にいると言うことです。

今回の不況の始ったころ、日本はこの不況の本質的問題からは逃れているので影響は少ない、と言う見方が多かったわけです。が、実際はそうでなかった。不況の切っ掛けは金融派生商品の取引が破綻したことでしたが、本質は、ドル体制への過度の依存にあったわけです。気がつけば、先進国の中でももっとも打撃が大きい部類に入れられてしまいました。

ならばドルへの依存を他に切り替えて凌ぐ、リスク回避を重んじて一つの体制に依存しすぎず分散して取引を行う、そのために多面的な外交をする。中国もロシアもお得意様にしたい。そうした発想は当然で、反対はしていません。
が、そもそも外への依存が強すぎたから引きずられて転んだ、ということも忘れないほうがいいのでは、と考えてしまうのです。
 

(無題)

 投稿者:春日 姫宮  投稿日:2009年 5月27日(水)21時15分59秒
  この狭い国土で1億3000万人近い人間が飯を食っていられるのは、外国にモノを売って、その金で外国からエネルギー(食料としてのカロリーも含む)を輸入しているからだということはAHHさんも承知していると思います。
今、外国でモノが売れなくなって国民が喰っていけるだけの金が得られなくなりました。さあ、どうするか?
こういう状況下で「国内にモノを売ればいいじゃないか」というのは正解になり得ません。
日本は海外にモノを売り込む、という形で他国からある種の搾取を行い、世界第二位の経済大国の地位にいます。最近、搾取できる額が激減しました(日本のGDPを一気に10%以上押し下げるくらい)。
今後は搾取せずに生きていこうというのは言うのは簡単ですが、現実には耐え難い痛みを伴います。
例えば、輸出量を減らす為に工場を閉鎖します。そこで働いていた人は職を失い、彼らに衣食住を提供していた業者(工場近くのコンビニなど)も立ちゆかなくなります。更に工場に部品を納入している下請けの企業も潰れます。
突き詰めれば、輸出量が減った分だけ日本人が減ります。現に不況のしわ寄せを最も受けている若者は子供を作ることすらままなりません。自殺者もいっこうに減りません。
減った輸出を取り戻そうとしないのは、こうした状況を放置することに他なりません。国内の需要を喚起することも大切ではありますが、それはその減少分を埋めるには到底至らない量です。

AHHさんの仰る通り、作れば売れるという時代は終わりました――日本を含む先進国の中では。しかし新興国は今まさに作れば売れるという市場の段階に突入しています。日本やアメリカ(これまでの日本のお得意様)の消費が頭打ちになる一方で、インドや中国の消費が急増しており、おそらく今後も増えるでしょう。
そうした状況下で、伸びしろの少ない日本の市場に重点を置こうというのは間違った選択だと言わざるを得ません。政府や多くの企業が目論んでいる通り、のびしろの大きい新興国の市場のシェアをコンマ1%でも多く切り取ることで、失った外貨獲得の既得権を取り戻すことが日本の体力を回復する方法だと思います。
そして、そうした新興国に、日本人に売るモノと全く同じモノが売れるのか? もちろん日本人に売った経験が役に立つ部分はあるでしょう。しかしそれとは別に、海外の消費者に合わせた製品作りを欠かすことはできません。一人あたりGDPが1/10の消費者に、10倍のGDPを持つ消費者と同じものは売れないからです。年収が4000万の人に売れるものと、400万の人に売れるものとは違うのです。

仮に国内の振興を図るとしても、所得倍増というのは荒唐無稽です。以前も書きましたが、今の日本人は所得が倍になっても倍モノは買いません。所得を払うのは企業ですが、人件費が急増すれば従業員を減らそうとしたり、日本から出て行こうとします。どちらも国内の振興にはマイナスです。そもそもそんな計画を政府に許すはずがありません。
格差を是正して中流層(最も消費に寄与する層)を増やすとか、多少のレトリックを駆使してでも社会保障への信頼を高め、将来への不安を減らすというのが正着であろうと思います。ただし、この場合も海外への輸出の穴を国内の需要が埋めることはありません。

>経済的に失敗した文明は文明じゃないの?という問いです
資本主義が正しいとか、共産主義が間違ってるとか言ってるのではなくて、モノやヒトが動くところにしか文明は発達しませんよ、というつもりで書きました。
交易が盛んでないところにはコロッセオもビルも建ちません。
ソ連は少なくとも一時、東側と呼ばれた広大な経済圏(と見ることもできる)の中心にいたわけですから、私の考えに沿っても明らかに文明の前提を備えています。
また、こうした市場の切取り合戦の様相は、別に共産主義社会でもローマの時代でも普通に行われていたことですから、今後も無くなりはしないでしょう(ローマは地中海の交易で主導権を握るためにカルタゴを滅ぼしました)。日本はこの合戦に勝利し続けることに全力を注ぐべきであり、背を向けるべきではありません。
 

(無題)

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 5月27日(水)00時54分5秒
編集済
  現実に日本ブランドと呼ばれるものがあり、そう呼ばれるに至る経緯がある、ということです。国内においては過剰といっていい競争が発生する素地があり、その結果として、高いクオリティを生み出すことがある。
勿論全てが当たるという気もないし、また、日本人の目が肥えているなんて言い方もしていないと思います。
外向けには請われて出すレベルでよいという消極論を唱えているのであって、外向きでない商品を売りに出して失敗するという流れがあるとしても、それは仕方がないような。

そもそもにして作れば売れると言う時代は終っていて、平和と国際協調を基礎としたグローバルな稼ぎあい競走、生産合戦と言う時代も終焉に向かっていると思うのです。帝国主義を基礎とした国家の意思と外殻が重視され、必要なものを必要なだけという意識が大消費国の間で当然になってゆくようにみえます。エコのような消極主義への大義名分や、テロや核を口実とした国際秩序への介入、技術の独占禁止などを口実とした自由通商の阻害などのあまり明るくない未来へ繋がりかねない流れも見え隠れしているわけで。

対話と折衝を繰り返して平和な時間を稼ぎながら国内の振興をはかり、技術の発展を基礎として小規模な産業革命を繰り返して、文明と文化を育ててゆく。
王道かつ地道な未来志向というのはそう言うものじゃないでしょうか。バブルのような邪道を頭から追い払うには、そのあたりを意識することが必要ではないでしょうか、と思ったりします。
…だいぶ話がおかしいほうにいきました。


悪い状況の指摘は出来ても、新規策や打開策となると難しいものです。前例を鑑みてリスクを下げる努力をしても、バクチ要素はなくならないでしょう。
ですが、悪い状況の指摘が出来る、ということは改善が見えるってことですよね。国内が問題だというならその問題を洗って改めて行くのがリスクの低いやり方でしょう、という、私の意見はそうした一般論にすぎません。
力点をどこに置くかという問題ならともかく、全否定される要素ではないと思います。

>ソ連が何で反証になるのかわかりません。
>>外貨獲得の否定は文明の否定と同義です。
に対して、経済的に失敗した文明は文明じゃないの?という問いです、単に。ローマが滅んだからといってローマなんて文明に見るところはない、ということにはならないと思いますし、社会主義という一つの形を成した国家が、歴史的に見るところないってこともないのでは? という話でした。
良いか悪いか、という問い方ではなく、それが全てか、といえば、資本主義が全てではないはずだと私は考えます。
同様に、成長が全てでなく、豊かさが全てでなく、前進が全てでもなく、少し過去のやり方に習って道を定めなおしても良いのではと私は思っているのです。
かつての一億総中流への回帰を目指しての、公平分配型社会のほうへ傾いていますでしょうか。
 

(無題)

 投稿者:春日 姫宮  投稿日:2009年 5月25日(月)23時06分5秒
編集済
  えーとちょっと整理してみます。
よーするにAHHさんは「日本の消費者は現在に至るまで世界で最も目が肥えてるので、彼らに買って貰えるような商品を企業が作ることで、(日本の消費者ほどは目が肥えていない)他の国の連中にも売れる」と仰っているんですよね?

ごめんなさい。正直同意できない意見です。
まず最も重要な点として、日本の消費の総額はこれ以上増えようがありません。
人口減、消費税増税、社会保障への不信、そもそもこれまで異様に高かった内需率、アリとキリギリスのアリ的な気質……増えないどこか日本の消費は短期的にも長期的にも今後縮小していく中でのパイの奪い合いになります。
「投資」してもリターンが得られないわけです。

などと書くと「それでも製品の質の向上に切磋琢磨するから結果的に海外に売れる商品を生み出せる」と言われそうですが、実際には逆です。世界一性能が高い日本の携帯は世界相手には全く売れずに先日東芝が遂に撤退しました。ソニーもとっくに撤退してます。その辺の具体例は前回の書き込み参照ということで。

それに、そんな悠長な事を言ってられる場合ではないことはAHHさんも承知のはずです。これまで日本は外から金を得て栄えてきましたが、その金が現在で半減しています。バブルに支えられていた部分が大きかったので、この金が戻ってくることはないでしょう。でも、代わりにどこかから獲得しなければ工場閉鎖に伴う首切りや地元経済への還元停止→更に国内消費落ち込む→モノが売れないのでまた工場を閉鎖せざるをえなくなる のデフレスパイラルが阻止できません。

それから、些細なことになりますがそこまで日本の消費者が凄いものとは思いません。もちろん何だかんだで豊かなので要求水準は高いですが、政府主導のクールビズに乗せられたり廃鶏を有り難がって喰ったり、権威(ブランド)に弱すぎて他の先進国より目が肥えてるかは甚だ疑わしい。
もちろん、日本は先進国だし要求レベルは世界で上位だと思いますが、同じように豊かな消費者を抱える国は他にもいくつかあるわけで、なぜ日本人の消費者を唯一無二のもののように書くのか? それは単なる過度の愛国心、自民族中心主義ではないかと懸念してしまいます。

>共産主義世界
えーと、あれだけ武器やら資源やら輸出してたソ連が何で反証になるのかわかりません。共産主義というスローガンの下に市場を囲い込んでソ連が交易における覇権を握った典型例じゃないですか。
 

(無題)

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 5月24日(日)11時24分45秒
編集済
  内需が弱ければ外需、というのは仰るとおり当然の選択の一つだと思います。ですが、内需対策あった上での外需であるべきで、それをしないから「将来への不安」などというものが残るのではないかな、と思います。

日本で起きることは将来的に世界に起きることです。そして世界で起きることは、いずれ日本に起きることです。
そうした「時差」を利用して経済活動は成り立つのですから、日本において止まった需要が別の場所で存在するうちに、その需要に対して売り込むというのは正しい選択です。ですが、そこは食い合いの戦場であり、いつまでも需要がある保証はありません。
時差を利用するために先に進んでおく、それが需要を創作するということで、日本がそこに強いのは日本の地理的特性に他ならないと私は思っています。市場が狭く、情報網が強く、拘りなくいいものに手を伸ばす国民性は、ナチュラルに品質向上の要件を満たします。そうした磨きに耐えたものが、これまでの日本ブランドを作ってきたわけであり、そうした「日本という設備」への投資として、国内需要の回復が必要だと考えている次第です。

海外に向かって作れば売れる、ほんとにそうでしょうか?だとして、それはいつまで?
そんな疑問を呈しているのです。

経済の本質はまやかしです。実体は生産と消費そのものであり、貨幣を介した「蓄財」の概念は、過ぎれば本質を見失います。実価値と価格の間の差異、利益と呼ばれる部分は、本来は成長と進歩のための時間を稼ぐ、先物的な概念なのだと私は捉えています。発売当初は高かったものが、生産効率の向上と競争によって廉価化してゆく。それまでの時間を使って、各企業は努力して体制を整え、そして次の開発に備える。利益は投資されなければいけないという基本で、それを怠れば商品としての価値を維持できません。
「日本」もまた資本を入れて競争に備えなければならない、と私は考えています。

投資の方向性が間違うということは往々にしてあるでしょうが、間違いは正せばよい。その方向性を吟味して、修正していけばいいのであり、すでにある日本市場という設備を捨てることはない。
使える部分とそうでない部分をちゃんと認識していれば、十分使用に耐えるし、アップデートしていける。
私の考える「内需」というのはそう言うものも含んだ意味合いだとお考えいただければ幸いです。


短期的に外貨獲得の方向で「時間を稼ぐ」のはありでしょう。その稼いだ時間で内需に手を入れて回復を図る、というのなら納得します。当然、春日さんも内需なんか無視、なんてことは仰らないと思います。私も外貨獲得するな、という気はありません。単に比重の問題なのでしょうが、私は今後世界が帝国主義の色を強め、多極化していく中で、外を見た経済を重視しすぎるのはリスクが高い、と感じている次第です。


さて、ちょっと強いなーと思うところへの返信ですよ。

>外貨獲得の否定は文明の否定と同義です。
んー。半世紀もさかのぼらないうちに、共産主義世界と資本主義世界があった時代があるじゃないですか。共産主義ったってまぁ100%理想で出来てたわけではないにせよ、一つの意欲的実験的な社会形態だったわけで。
結果的に勝った負けた滅び滅ぼされがあったとして、負けた側が全否定されるものでもないと思います。


>そもそも日本の需要をまるで無視した商品というものを私は知りません
えっと、そりゃ私だって知りませんw 内需に向けた製品作り、といった私の言葉は確かに足りてませんが、ぜんぜん汲めないってワケでもないんじゃないですかw

>「日本で売れるものを作れば海外でも売れる」というのは、消費者を見るという基本を忘れた傲慢に過ぎません。
まぁ、これはそのとおりですけど。
日本の車だっていろいろ摩擦がありながら調整を続けて、気付けば売れてたわけです。日本製が良いものというのはそもそもごく最近の話で、高度経済成長期の日本製品は基本安かろう悪かろうでした。今の中国と変わりません。
日本で売れればそのまま海外でも売れる、それは確かに間違いですが、日本で売れる(良心的な意味で)ものなら海外でも売れる、と言えるクオリティを持っていること自体は誇っていいように思います。
後は、先人たちの行ってきた調整を引き継ぐだけではないかと。
 

(無題)

 投稿者:春日 姫宮  投稿日:2009年 5月22日(金)20時58分7秒
編集済
  まるで今回のやりとりを見ていたかのようなタイミングで、麻生首相が「アジアのGDP倍増、そのために日本はアジアに6兆5000億円相当(670億ドル)の支援」を打ち出しました。
政府も外需を重視していることが端的に窺える動きです。

国内の所得倍増計画は実用性がありません。まず、企業の人件費を倍増させよと国が指導すれば企業は反発するに決まっていますし、少なからず海外に逃げてしまう企業も出てくるでしょう。
また、仮に実現できたとしても、所得の倍増は消費の倍増を意味しません。将来への不安があるからです。大金持ちの勝間氏のような人間すら「自動車を買うのは無意味だ」と叫ぶ昨今、日本に消費ののびしろは殆ど残っていません。ましてや社会保障費捻出のために消費税を上げる流れの中ではなおさらです。
日本は生産ののびしろはまだまだ大きいのですが、消費ののびしろは殆どもう無い、こうした状況から素直に導き出せる結論は、海外の消費増に乗り海外に売り込むことです。

これまで日本はせっせと外国にモノを売り、外貨を得て富んできたわけですが、過去の文明国は例外なくそうして豊かになってきました(江戸幕府は他国との交易を独占して地位を盤石なものとしましたし、最後はより発達した交易を行った薩摩に打ち倒されました)。外貨獲得の否定は文明の否定と同義です。

>内需に向けた製品作りという原点に立ち返るべき
とAHHさんは仰いますが、その原点を忘れたせいで経営が立ち行かなくなったという例を私は知りません(そもそも日本の需要をまるで無視した商品というものを私は知りません)。
逆に、携帯電話、ノートパソコン、液晶テレビ、ビデオゲーム、システムソリューションなど、内需に目が向きすぎて世界的な競争力を失った例こそ枚挙に暇がないと思います。

>消費者を意識した生産があるべきだ
というAHHさんの主張はその通りです。だからこそ海外の消費者に向けた生産は、海外の消費者をもっと意識せねばなりません。
日本人は確かに世界で最高の性能のものを欲しがり、他国に商品展開する場合は日本の製品からその国に不必要な機能を間引けばよいと言われています。しかし反面、日本人はブランド信仰が強く、価格にかなり鈍感な一面があります(大抵の企業は日本と海外とで同じ製品を売る場合、日本ではかなりのプレミアを乗せます)。それに慣らされた結果、上に挙げたノートパソコンやテレビの例では価格競争力を全く失い、台湾や韓国に駆逐されました。その上日本人が段々価格に敏感になってきており、これらの製品の日本の生産者は日本市場ですら海外製品に脅かされつつあります。
また、日本市場の特殊性に慣らされ過ぎた結果、日本でしか売れなくなってしまった携帯電話やビデオゲームの例もあります。
日本でだけイマイチIBMの売上が伸びず、逆にNECや富士通が日本でだけシステムソリューションのシェアを持っているのは、天下りを通じた巧妙な談合のようなものがあるから……すなわち単に保護産業だからです。

「日本で売れるものを作れば海外でも売れる」というのは、消費者を見るという基本を忘れた傲慢に過ぎません。
 

(無題)

 投稿者:AHH  投稿日:2009年 5月20日(水)00時44分52秒
編集済
  さてこれで都合2度、日本はバブルの痛手を蒙ったことになるわけですが、今後はさらに、実体の伴わない金融派生商品の類は敬遠されることになるでしょう。”楽しておいしい話”への信用がなくなり、主犯であるアメリカがドルの信頼失墜から深刻なダメージを受けていくのはこれからの話だと思われます。

FTAはむしろ、グローバルという言葉の後退を示しているように見えるのは気のせいでしょうか。市場に物を出せば売れる、取引は自動的に発生する、などというのはやはり幻想で、需要と供給に根ざさない経済活動が今後はモラルの観点から批評の目に晒されるようになるなかで、たしかな取引相手を作り、基盤とするという『地道な』動きに立ち返ったように思えます。
これまでの状況が異常だったのであって、正常な方向へ戻ってゆくことにたいして閉鎖という言葉は、少々強すぎるかなと感じています。

何事も相手を見ないで遣り取りはなくて、読み手を意識した文章があるように、消費者を意識した生産があるべきだ、と頭の古い私は思います。
以前仰っていたように、日本の今後の展望は明るくはありません。生産も消費も担い手が減り、落ち込まざるを得ない状況がやってきます。「経済成長率」という言葉は、成長しないとダメみたいな言葉ですが、その必要がなくなれば成長は止まるべきもので、老人国日本としては成長よりも次世代への委譲と劣化した組織の再生に勤めるいい機会なのかもしれません。
…このあたりイメージの話で、具体的なことを問われると困ってしまうのですがw

中で作って外に向けて売る、外で作って外(だけ)に売る、というコンセプトはあまり支持しません。内で作って内に売る、をやって初めて日本の強みが出るからです。
国土の狭さから競争で磨かれる、というプロセスを経ず楽に外に出すようになれば日本ブランドはあっというまに下落するでしょう。既に兆候は出ています。
日本内向けの製品を、外から請われて出す、でなければならないと思っています。そのためには、外向けの展開ありきではなく、内需に向けた製品作りという原点に立ち返るべきと考えます。そう言う意味で、外にばかり眼を向けても悪循環だと私は思います。
まずは日本人を欲しがらせること、そして欲しいものに応えること。
そのために、所得倍増計画といったテーマが再び脚光を浴びるのでは、と思った次第です。
 

以上は、新着順1番目から20番目までの記事です。 1  2  3  4  5  |  《前のページ |  次のページ》 
/5 


[PR] オーガニック 沖縄 ダイビング ログハウス 電子タバコ アバクロ 通販