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はい。まったくもって直接の返事してません。
議論を戦わせているわけでもなく、言いたい放題の応酬ですが、ご容赦ください。
直接の反応は追々やってくつもりです。調べが追いつくまでお待ちくださいw。
いちいちもっともなご意見と思います。
現状についての把握はそちらのほうが詳細ですし、提案された対処法と予想される結果の組み合わせに、大きく間違いがあるとも思いません。
以前の党派の話じゃないですが、まずは自分が誰の利益のためにモノを考えるか、って所ですよ。仮に日本ったって、老若男女、資本家と労働者、いろいろ立場と階層がある。その中のどこが「得をする」ことをよしとするのか。
それぞれ立場は重複し合っていて綺麗に切り分けなどできませんが、それでもざっぱな対象を定めるとして、今の私が「得をすべき」と考える対象は低産労働者になるのでしょう。
資本家の利益を重視すれば、労働者まで還元される、という小泉流のロジックは、「社会がそのように押し付けなければ」実現されないってことが明らかになりつつあります。ルールなき経済活動の先には奴隷制とマルチしか残らないから、世の中いろいろルールがあるわけで、そろそろルールを見直す時期なのでは、といっています。
さらに言えば、社会主義的な思想を思い出す時期なんじゃないの、と。
今このご時勢では珍しくもない主張です。もともと、経済の世界は自由主義と社会主義の間を行ったりきたりしてバランスをとるもので、今回は社会主義よりに傾くターンなんじゃないのという程度のものです。
今の日本の問題ってのは、「意味の喪失」にあると考えています。
たとえば、労働の意味。生きるために働く、ではない、生きるために食う、食うために稼ぐ、稼ぐために働く、です。食えればよいのであり、働かなくて食えるのなら働かなくてよい。ニートが生まれた背景は、労働に食う以上の意味がなくなったからです。
かつては、労働には他の意味と価値があった。ひとつの社会としての会社での立場と関係、望ましい将来設計を実現する手段、努力対象としての労働。
そもそもの、生きる意味。欲求の追及、ここに尽きると私は考えていますが、これもまた経済と同じくノールールではなく、社会が「価値」と言う名前で方向性を与えなければならないモノです。
それは宗教であったり、道徳であったり、価値観そのものであったり、さまざまに「望ましい欲求」と「制限すべき欲求」の区別をつけていく、それこそ国の仕事の主たるものなのだ、と私は思っています。
そういったものを復活させることはできないのか? できるんじゃ? と、私は思っています。
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