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実は駒には正確なサイズがありません。
盤に関しましては、江戸時代には将棋所で記載があります。
縦1尺1寸.横1尺と言うもので、現代に比べ小さいものです。厚さに関しては
3寸7分5厘、と3寸7分8厘の2説があります。
戦後、高度成長により盤はより厚く、より大きくなりました。それに伴い駒も大きく.厚くなってきました。また、以前にも書きましたが、書体により駒形は形が違うことが望ましいこともあります。「長録」と「錦旗」を同じ駒形に入れると違和感があります。「長録」は長体、「錦旗」は平体が似合います。
この点も駒師のセンスが問われるところです。
また、駒形の成形には、冶具を用いますが、冶具を製作することは大変な手間と費用が掛かります。その為、一人でいくつもの駒形を用意することは少なくなってまいりました。私も、それを憂いている一人です。
一方で、江戸時代には面白い試みがなされました。幕府による規制です。
「将棋・囲碁・双六(バックギャモン)」は三棋と呼ばれ、大名や豪商の結婚の際の嫁入り道具の一つでした。特に大名家においては,後継ぎを得るため多くの側室が存在していました。その中から殿様の寵愛を受けるため、それらは殿様の興味を引き為の花嫁修業の一つとなったわけです。
ところが、4代将軍の頃から、戦乱の世は安定し、各大名の勢力争いは、大名同士の血縁関係を強める事に主眼置かれるようになります。また、どのようなこし入れ道具を、納めるかにより、権力を鼓舞するようにもなりました。「俗に言う名古屋の結婚式」のように、派手に、きらびやかに変身してゆきまし。江戸幕府はそれを嫌い、そのこしいれ道具に規制をかけます。どのような規制かと言うと品物の大きさの制限で、時代により、より小さくされてゆきました。十三代将軍時代には、玉将で小指の爪よりも小さくなります。
当然、実用には向かず、雛祭りの人形と一緒に並べられるようになり、「雛駒」と呼ばれるようになります。
ですから、将棋の駒にはサイズが正確には決まっておらず、盤の升目の中で収まる程度であればよくなったのです。
駒の角度にも決まりは有りません。これも駒師の自由な裁量で製作されますが、盤上で如何に映えるかを駒師が考えることにより決まっております。ただこの角度は1度違うと大変に違って見えるものです。昔、宮松影水が面白い試みをして、それが基本形だと言われたことがあります。それは、駒の各角度が盤の升目の数である「9」の倍数にしたことです。
9度・81度・117度・126度です。この角度ですと、仮に同じ大きさの駒を横に合わせて並べてゆくと360度、つまり真円になります。また、同じ大きさの駒を上に重ねて動かないように並べ続けると40枚で真円となります。しかし、現在の駒はそうなっていることは稀で、少しづつ駒師により、0.何度か違っております。
この角度も、木地師あるいは駒師のセンスによります。
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