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木村作

 投稿者:キコリ  投稿日:2009年11月 6日(金)08時34分48秒
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  >木村の駒というのは職人で分業したという話はあまり聞きませんが贋作が多く作られたと>いう話は聞きます。注意が必要です。

木村さんは、ある意味ではパイオニアであったことは確かです。
私が、高校生のころに幾度か工房にお邪魔しました。その時に驚いたことは、直径で70cm程の柘植の木でした。彼はそれを「外地の柘植」と呼んでいました。つまり、今で言う中国材だったのです。お話では戦前の物で、当時は日本に運ばれていたとの事。大きいので残していたとのことでした。

木村さんは、分業をしていなかったか?いえ、しておりました。
彼の、作品の中にまるで違う作者名、書体名の物がありますが、それは香月さんによる彫りのものです。

木村名人が、現役のころは「木村駒」は名人の名前もあり非常にもてはやされますが、昭和30年以降、影水さんの駒が連盟で使われるようになると、彼の作品は一変してしまします。値段は木村さんが倍の値段でありましたが、影水さんのほうが優れていると言われるようになり、木村さんもそのことを良く解っていたのでしょう。特に影水さんが急死すると、その値段は倍に跳ね上がり、木村さんの駒の値段を上回ってからは「駒は道具、必要以上に
奇麗にする必要は無い」と変わって行きました。年齢による衰えと、世間の評価が変わってしまったためでしょう。

特に、晩年の彫埋め駒には、問題が多い作品が多くなりました。彼は、いつも腰に手拭いにくるんだものをぶら下げ、時々それを手で揉んでおりました。それは、との粉に漆を混ぜたもので、との粉の量がほとんどの物でした。出なければ腰に常時釣るしていては誰でもかぶれてしまいます。普通は漆ととの粉は同量に近くするものですが、彼の場合は漆は10%も入っておりませんでした。その分量では、目止めがほとんど無くても、漆が滲みません。
その為、時代とともに、それらの駒の漆は彫の部分から全てが剥奪してしまうようになってきたのです。一度、ある盤駒商の方から、5組の彫埋め駒の修復依頼がきました。2・3枚の駒が素彫りから、飛んでいました。飛んでいない駒も、ガムテープを張り剥がすとほとんどが、ガムテープにくっついてきてしまい驚かされました。中には取れない部分もありましたが、あれから15年は経ちます。より危ない危険性があります。私が、木村駒の評価を一部にしかできないのはその為です。

名を売り、名人ともてはやされ、その名人の名を奪われた後の駒師の悲哀をそこに見ます。
駒の評価は、1作1作違うと書いたのもそこにあります。味のある駒を作られた方ですが
残念です。
 
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